西洋音楽史⑥ バロックの音楽 バロックとは
こんにちは。近松です。
1年ぶりの投稿となりました。教員採用試験が終了し時間ができたので、ブログを再開しようと思います。試験の出来が悪くメンタルがやられてからというもの、ほぼ趣味にしか時間を割いていなかったので、そういう自分を律するつもりでもまた勉強を続けていきたいと思います。
さて、これまで
音楽起源説→古代ギリシアの音楽→中世の音楽→ルネサンスの音楽 と音楽史を学習してきました。
今回は「バロック音楽」について学習をしていきたいと思います。
バロック音楽は第4回に分けて書く予定でいます(ルネサンスまでで5回だったから多い、、小出しにしようと思います)。
①バロック時代の概説 ②バロックの声楽音楽 ③バロックの器楽 ④バッハ・ヘンデルについて
バッハヘンデルはクソでか項目なので、1回に収まるか不安ですが頑張ります。
バロックとは
バロックとは一体何を意味するのでしょうか。
ルネサンスは「再生・復興」という意味を持っていました。これは古典文化の再生を目指した絵画などの分野で用いられた言葉で、それを音楽にも転用させています。音楽ではもっぱら「調和」を目指した時代でした。
バロックとは、ポルトガル語の「Barocco」を由来とする言葉で、「ゆがんだ真珠」という意味です。
え・・・?って感じですよね。何がゆがんでいるの?
我々現代人は、バッハの音楽=調和の権化 のような印象を持っているので、全くしっくりきません。
この言葉はもともと、この時代の美術・建築芸術で用いられた言葉です。
新しい時代になり登場した、大胆な装飾や仰々しい美的センスの建築に対して、ルネサンスを生きたおじさんたちが「いややりすぎだろこれ」という意味をこめて「ゆがんだ真珠」と呼んだことが由来になっています。
そういう視点で見てみると、バロック建築には昔に比べるとごつい感が出ています。建築に関しては全くの無知なのですが、上記に載せたバロック建築と比べてみると、なるほど少しだけわかりました。そしてバロック建築は、彫刻・家具・絵画などが一体となった総合芸術でもあるそう。調和とはまた違う、美しさが感じられます。
ルネサンス=自然的な調和
バロック=人間的な装飾
という印象を私は受けました。
時代背景
バロック時代は16世紀末〜1750年までとされています。
1750年とは「バッハの没年」です。
バッハやモーツアルト、ベートーヴェンなど特に音楽界に影響を与えた偉大な作曲家を持って時代の境目にしようという考え方があります。その中の一つが、バロック時代の終わり、1750年です。
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コラム なぜここに挟むかは知らないが音楽の歴史を学ぶことについて考えた
余談ですので読み飛ばしてください。音楽の歴史というものは、一般的な歴史に比べて時代区分をエピソードで区切るということが難しいものです。例えば世界史・政治史では戦争や革命によって時代を区分します。しかし音楽に関しては『この音楽を境に世が全て変化した。世は大バロック時代……』ということはまずないからです。
本編に全然関係ないですが、またブログを書き始めてから、音楽の歴史を学ぶってなんだろう、なんで音楽史学んでるんだろうな、ともやもや考えていました。そこで考えたことを徒然なるままに書きます。
音楽の歴史は、作曲家のエピソードの歴史でもあり、「作品」の歴史でもあります。また、それら作品の「演奏」の歴史、作品と演奏の「評価」(聴衆や後の学者など)の歴史でもあると思います。それらが関連しあって「音楽の歴史」になっています。
こんなエピソードがあります。バッハの没後約100年間、彼の作品はあまり演奏されることなく、ごく少数のマニアを除いて人々から忘れ去られていたとされています。しかしある時、鋭い慧眼を持ったメンデルスゾーンという作曲家が、「この先人の音楽ぶっ飛んでるからみんな聴いてみ」と約100年前の作品を演奏する演奏会を開き、人々に知られるようになりました。現代でいうと、1950年代にレコードデビューするも全く売れずに埋もれてもう誰も知らない、でも音楽的にぶっ飛んでたことやってたみたいなインディーズバンドを、星野源がカバーしてみんな聴きだす、みたいなところでしょうか。もしあの時メンデルスゾーンがバッハの音楽に興味を示さなかったら。さらに、興味を示しても「みんな聴いてみ」の演奏が当時の聴衆に全然刺さらなかったら。そしてメンデルスゾーンの心が折れていたら。バッハの音楽は我々には届いていないかもしれません。また、バッハに学ぶ偉大な作曲家たちも存在してないかもしれません。メンデルスゾーンに大感謝。
このように作品・演奏・評価が関連しあった結果、我々は音楽史を、もっと言えば「音楽」を学べているんだな〜と思います。極端な話ですが、「作品」は楽譜や録音として物理的に存在していても、私たちが今後「演奏」と「評価」を一切やめてしまえば、「音楽の歴史」が止まる可能性もあるのかもと思います。一旦作品が完成した場合、建築など空間的な芸術は人間が何もしなくても物理的に芸術そのものが残っていきます(もちろん実際は大事な文化を守るために様々な工夫をされていると思います)。同じように全く人間が何もしなくても物理的な楽譜と録音は残ります。しかし、楽譜や録音が「ただ残っていくこと」は音楽の歴史なのでしょうか。
メンデルスゾーンが演奏しなくても、残っていくだけならバッハの楽譜は今もどこかに埋まっているかもしれません。しかしそれはれっきとした由緒正しき「音楽作品」ではあっても、「音楽そのもの」ではないはずです。そこで、楽譜を見て演奏したいと思い演奏する、それを聴くという、演奏・評価といった我々の音楽への意思と表現活動が伴ってやっと「音楽の歴史」が作られるのではないでしょうか。
また、音楽は、第3者が能動的に「音楽作品=楽譜」に近寄らないと「音楽」としては残っていかないという性質があるのが面白いところです。「残っていくこと」と「残していくこと」の意味合いが他の芸術とは違うのかもしれません。結果的に音楽が残っていくためには人が直接再現するしかないということです。
そう言う意味では、我々の音楽的な活動は、現在進行形で音楽の歴史のレールの上にいるのではないでしょうか。もしかして、私たちが音楽の歴史を今も作ってるんじゃね?ということです。いきなりの論理の飛躍。こじつけも甚だしって感じですが、歴史の上にいるんだったら勉強しないわけにはいかないよな〜と私は自己解決したのです。
長い長い極端な話でした。。
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バロック時代の音楽
音楽の話に戻ります…!すみません私は何を書いていたんだ
「バロック」の時代の音楽は、前の時代であるルネサンスと同様に宗教的・芸術的な題材ではあれど、比較的人間的な表現が増えていきます。
「ルネサンス様式の均斉と調和に対して、それらを打ち破っていく躍動感と運動性、明白な対照とドラマ、芸術の根源としての人間の情緒の重視などがバロック様式なのである(決定版初めての音楽史より)」
と私の学んでいる本に書いてあります。
(一昔前の時代と相対して人間的な情緒を求めるバロック音楽。今後は古典派〜ロマン主義と続く音楽史ですが、思えばロマン主義も、形式主義的な古典派に対して「個性の開放」という命題を求めた時代です。そしてロマン派の後は古典回帰的な新古典主義という音楽も登場します。時代はふりこのように揺れるんだなあと思いました)
具体的にどのように人間的になったか見ていきましょう。まず、「モノディー」という、歌詞の持つ情緒や感情表現を重んじた独唱が発展しました。また、後の時代にも続く大きな大きなジャンル、「オペラ」が登場したのも、バロックの時代です。
そして、器楽曲も大きく発展しました。ソナタ、コンチェルト、組曲、フーガなど、バロック独自の形式が続々と生まれ、また、声楽における器楽の立ち位置もでかくなっていきました。伴奏の役割が大きくなり、伴奏のための理論まで生み出されたほどです。
伴奏のための理論は『通奏低音』と言います。チェンバロやオルガンなどの鍵盤楽器のための理論で、バスの旋律と和音を示す数字や記号が示され、奏者は即興演奏をします。私はよく、現代でいうジャズであったりフォークソングに似てるなあと思います。私もギターを弾くときは、和音を示すコードとコード進行を見て演奏する(逆に楽譜を見てギターを弾けません)ので、そのような感覚なのかもと思っています。
また器楽の回で詳しく勉強しようと思います。
では次回は、具体的にバロックの声楽について勉強しようと思います。
今回は音源を貼っていないので、次回はいっぱい貼りたいところです。
ありがとうございました。
西洋音楽史⑤ルネサンスの音楽 ブルゴーニュ、フランドル楽派
こんにちは。近松です。
ルネサンスの音楽を始めたいと思います。
最近ですが、左手全体が痺れてきてタイピングがきつく、ブログが書けていませんでした。
だんだんと小指から痺れが広がっていき、全体に広がっていく感じがあったのでもし脳の欠陥とかだったら怖いなと思い、脳神経内科に行ったところ、肩こりが酷すぎるためであるとわかりました。
湿布を左側に貼っていたら徐々に治りました。
検査に1万円近く払ってしまいとても痛いですが、まあ脳に何もなくてよかったなと思います。
ルネサンスの音楽
ルネサンス音楽はこの前に話した、ジョン・ダンスダブルさんが3度と6度を使って書いた音楽をもとに開かれていきます。
ルネサンスとは一般的に「再生」や「復興」という意味があり、絵画などでは古典文化の再生という側面が大きく発展しました。
しかし音楽において、古典文化といってもしっかりとした文責が残っていないので、再生の対象が存在しておらず、再生や復興という観点で捉えることは難しいです。
音楽の場合は「再生」というより、「調和」を目指した時代といった方がいいと思います。
ルネサンスの音楽の特徴
ルネサンスの音楽では
①三和音の発展
②対位法の発展
が特徴的です。
ルネサンスの音楽は、ジョンダンスダブルさんがもたらした音程感である3度や6度を肯定的に捉えようとする動きが非常に特徴的です。
3度や6度とは、いわゆる私たちのポップス音楽で「ハモリ」に使われる音程で、現代にしては普通に綺麗な音程ですね。
その音程を多用したことで、3和音が発展し、和声感がより進展しました。
3和音とは、ドとソという5度音程の中にミという3度音程を入れ込むことによってできますね。今まではドとソだけだったのに、ミも重要じゃない??ってなってきたんですね。
そして純正律という、より調和した響きを得るための音律も導き出されました。
ただこの純正律は、めちゃくちゃ綺麗だけど、曲の中で調性が変化した時(転調)にめっちゃ濁って汚くなるという性質を持っているので、後にスタンダードにはなりませんでした。
また、作曲の手順も、テノール声部を作ってしまってから順々に積み重ねていくという従来の作曲の順序から、全部の声部を同時並行で作るという感じに移行してきました。
これによって、声部同士のバランスがめちゃくちゃ整ってきたので、対位法が発展することにつながりました。
対位法とは、ざっくりと旋律の編み物の様なものだと認識しています。学んでみたいです。
それと、すごい大切なことで
中世の教会旋法に新しく「イオニア旋法」と「エオリア旋法」が加わったのですが、これがいまの「長音階」と「短音階」に正しく当てはまるのです。当時にこれが長音階でこれが短音階だと認識されて創作されたわけではないですが、明らかに長短調の調性感がついてきています。
ブルゴーニュ楽派
さて、15世期にジョン・ダンスダブルの影響を受け、北フランスからベルギー、オランダの地方にあったブルゴーニュで活躍した音楽家が注目を浴びていきます。
それがブルゴーニュ楽派です。
初期ルネサンスを牽引していった楽派で、有名な人に「バンショワ」と「ギョーム・デュファイ」がいました。
中でも、ギョーム・デュファイは活動範囲をイタリアにまで広げ、シャンソンやモテット、ミサ曲などあらゆるジャンルの音楽を書きました。そのなかで4声部書法が確立していきました。
めちゃくちゃルネサンスの初期において重要な人といろんなウェブサイトにありました。ルネサンスのバッハと言われているそうです。バッハよりうん百年と先輩なんですけどね。
Dufay: Missa Se la face ay pale - Kyrie
フランドル楽派
そして15世紀の後半になるとブルゴーニュ公の力が衰退していくのとともに、次に公領になったフランドル地方で音楽家が多く輩出される様になります。
それがフランドル楽派です。
フランドル楽派が凄かったのは、聖歌隊員への教育が行き渡っていて、優れた音楽家を育てるシステムが整っていたところです。そしてそこから輩出された音楽家たちが、ルネサンスの一番盛り上がった時代を主導していきました。
有名な作曲家に「ヨハネス・オケゲム」さんと「ジョスカン・デ・プレ」さんがいます。
ヨハネス・オケゲムさんは優れたミサ曲をたくさん残し、その一部でカノン技法と呼ばれた作曲技法で音楽を作ることもやりました。
ジョスカン・デ・プレさんですが、この時期に隆盛を極めたミケランジェロと同様に、天才だ!!!と言われていました。有名なところで、宗教改革をやったルターさんから褒めちぎられました。
「ジョスカンは音符の主である。他の作曲家は音符の指図に従うが、ジョスカンの場合は、音符が彼の望み通りに表現しなければならない」
と言ったそうです。本当に褒めちぎられてますね。
宗教曲も世俗的な曲もどちらも作成しました。
Josquin - El Grillo (score + audio + lyrics)
ジョスカン・デ・プレ 「アヴェ・マリア」 タリス・スコラーズ Josquin Des Prez: Ave Maria
ジョスカンさんの功績として、「通模倣様式」という作曲の様式を確立させました。同じ楽句を歌いながら模倣的にずらしていくという感じの作曲法で、後の作曲家が多く用いました。
こんな感じです。追いかけていますね。
楽譜の印刷・出版
もう一つルネサンスの時代に重要な要素がありました。それは活版印刷の技術が大きく進み、楽譜を印刷できる様になったことです。
それまでの楽譜は一つひとつ手書きで書き写されたものであったために、非常に高価なものであり、一般の人が手にできる様なことは滅多になかったそうです。しかし、楽譜が印刷される様になってから、決して安価ではないにしろ、一般の人にも楽譜が届く様になりました。
そして、コピーをするので、手書きでの書き間違いなどの心配がなく、音楽が同じ形で広く流布する様になりました。
現在では当たり前のことですが、当時にしたらすごい技術革新だったんでしょうね。
そして思うのは、普段から私たちはストリーミングやCDで絶えず音楽を耳にしていますが、この時代は音楽自体が貴重なものですし楽譜もないですしという感じで、、どうやって音楽を勉強・制作していったのかが気になるところです。
一つの音楽を渇望して、いちど一度聴いたらそれを脳裏に焼き付け、
楽譜も丁寧に書き写して、一つの貴重な楽譜から見えるあらゆる可能性を絞り出したかと思うと
音楽に対する欲や熱が強い様な気がしてきました。
ルネサンスの音楽はまだ続きます。
次回はその後のルネサンス音楽〜バロックの始まりまでを学習しようと思います。
ありがとうございました!
西洋音楽史④中世の音楽(2)
こんにちは。近松です。
何故かMacの操作を色々いじっていたら、バグが発生しまして
ブログを書きかけのSafariがぶっとんで
ブログの更新が大幅に遅れてしまいました。
オルガヌムの新たな展開を始めます。
オルガヌムの新たな展開
一回書いたこと、結構忘れてしましました、どこまでやったっけ
そう、ディスカント様式とオルガヌム様式をやったんでした。
大きなイメージですが、聖歌の中で2つの旋律が同じリズムで動くものがディスカント様式、一本長く引き伸ばされた旋律の上でもう一つの声部がコロコロと歌うものがオルガヌム様式でしたね。
ここで時は12世紀後半から13世紀、パリのノートル・ダム大聖堂でオルガヌムをめっちゃ発展させた音楽家が生まれます。
この人達をノートル・ダム学派と言います。
この〇〇学派という言葉、今後バロック時代辺りまでに頻出しまくります。ノートルダム学派、ブルゴーニュ学派、フランドル楽派、ヴェネツィア学派、ボローニャ学派、ナポリ学派、マンハイム学派、ベルリン学派、てな感じです。
正直西洋音楽史を中世以前から勉強し直そうと思ったのは、この学派たち、名前は全部聞いたことあるけど一個一個わからない、、わかりたい。。。という思いがあったからです。
変ですがお付き合いください。。
それは、レオニヌスとペロティヌスです。
レオニヌス
レオニヌスはそれまでに作られていた聖歌の中で使われていたオルガヌムを『オルガヌム大全』という本に纏めました。
また、その当時曲の殆どがオルガヌム様式だったのですが、その中でディスカント様式が効果的に用いられ、逆にそこが目立っていいね、ってことになりました。
この部分をクラウスラといいます。
ペロティヌス
もうひとりのペロティヌスはレオニヌスの後輩で、先輩が作ったオルガヌムに手を加えて3声、4声と声部を足していきました
そしてこれすごいのですが、
「音が縦に増えたからみんななんとなくのリズムで歌ってもらっては音の移り変わりが濁って困る、だから音の長さを正確にきめます」
ということで、音の長さを楽譜に表そうとするシステムを作り、導入しました!
これをリズムモードといいます。
ただ、今は4分音符や2分音符のように、1:2の音価がスタンダードになっていますが、リズムモードは1:3でした。めちゃ使いにくそうですね。
なんかキリスト教の教義では1:3が正統で神聖な比ということだったらしいです。
Perotin: Sederunt Principes. Escuela de Notre Dame. Organum.
そしてその後、モテットというクラウスラ部分に新しい歌詞をつけたものが始まりの聖歌が登場し(モテットはその後も時代に応じて発展しめちゃくちゃ広義のため割愛)、今後に展開していきます。
アルス・ノヴァ
いよいよ中世も末期。
14世紀に入ると、フランスでフィリップ・ド・ヴィトリという人が、『アルス・ノヴァ』とかいう本を書きました。
この本は、「やっぱ1:3もいいけど1:2は使いやすいです」という内容で、アルス・ノヴァとは新技法という言葉を意味していました。
これにより、1:2の音価の記譜が発展していきました。
アルス・ノヴァの時代の有名な作曲家には、ギョーム・ド・マショーさんがいます。
マショーさんは宗教曲も作りましたが、後述します世俗歌曲も作りました。
これがマショーさんです。
Machaut Messe de Notre Dame - Kyrie
確かに、1:2の感じがします。響きは荘厳を極めたみたいな感じですね。
そしてその後、フランスやイタリアでは
その高度な技術をもてはやし、もはや神のため音楽のためというより、技法のために音楽をつくるという風潮が流行りました。アルス・スブティリオルといいます。
俺のこの混み合った混み合ったリズムを見てくれ!!!みたいな感じだと思います。
それは置いといて、
次の時代、「ルネサンス」の時代へはフランスでもイタリアでもなく
イギリスが走り出しました。
その頃のイタリア、フランスの宗教音楽では3度や6度もきれいとはいえ、重要なポイントではやはり完全と言われている4度5度、8度のみを使用していましたが
イギリスではそうでもなく、6度や3度も多用していました。
これがやはり次の時代に重要になってきたんですね。
イギリスの甘美な響きを
ジョン・ダンスタブルという人がフランスに伝え、
それがルネサンスの始まりになっていきました。
John Dunstable - Veni Creator Spiritus
この人です。
確かに聞いてみると、三和音の感じが伝わります。
歌い方は中世だけど、
少し一歩だけ和声が前進した感じがしますね。
この人を皮切りに、ルネサンスの幕があけます。
それにしてもなんかお顔がとても長いですね。
では、ノートを載せます。
中世の単旋律世俗歌曲
単旋律世俗歌曲とか書いていますが、この時代の市民のポップスって感じでしょうか
こんな風に宗教的な音楽はどんどん発展していったけど、この頃の市民はどんな音楽をきいていたんでしょうか?あるいはきいていなかったんでしょうか
教会の音楽の場ではネウマ譜が使われていたので月日がたった今もわかりますが、一般の人達の音楽はあんまり残っていないんです
ただ、次第にネウマ譜が広がるようになり、10世紀くらいからわかるようになります。それがゴリアールの音楽です。ゴリアールとは10世紀末〜13世紀にヨーロッパ中を放浪した学徒たちのことで、社会風刺や恋愛などの思いをラテン語を用いた詩を書いて、残して回りました。
普通に書きましたが、200年くらいに渡って、代々詩を読みまくってたんですかねこの人達。
そしてその後、ゴリアールのようにラテン語じゃなくても自分たちの言葉で詩と歌を残そうとした人たちが現れます。それがトルバドゥール・トルヴェール・ミンネジンガーです。
ここらへんも名前は絶対習うけど、何だったっけそれ。。ってなるポイントでした。
それぞれ、南フランス、北フランス、ドイツの人たちです。
この人達は地域は違えど、みんな宮廷の恋愛の歌をたくさん書きました。
と、こんな感じです。
次回はルネサンス音楽について触れようと思います。
ありがとうございました。
西洋音楽史③中世の音楽⑴
中世の音楽
こんにちは。近松です。
最近オンライン授業が始まりました。自分で授業時間を調節できることと、3年になって例年に比べて授業数が少ないような気がして不安になったので、興味がある授業をバンバン入れて、必要以上に履修する授業を増やしてしまった気がしています。フル単位を目指して頑張ります。
さて、今回は中世の音楽をやっていきたいと思います。
ここから所謂、私たちが西洋の音楽と言われてイメージできるものが始まっていきます。
今回は中世⑴と中世⑵というように、2回に分けて書かせていただきます。
今回長くなってしまいましたが、多分これからもっと長くなると思います。こんなペースでやっていったら全然おわんないとも思ってるので、どこかでスピードアップします。。
中世の音楽
中世の音楽史は5世紀〜14世紀の間に展開されました。一般における中世の歴史(西ローマ帝国滅亡〜東ローマ帝国滅亡)とほぼ一致します。
中世のヨーロッパにおいて、「音楽」はどのように位置付けられていたのでしょうか。
まず、大きいのはキリスト教の存在です。イエス・キリストの存命中から讃歌を歌っていたほど、宗教と音楽が結びついていました。そこから神を讃えるという目的のもとたくさんの音楽が発展しました。
なんか宗教と芸術って結びつきやすいですよね、、どういう心理で結びついてるんだろうなぁ
イスラエルの宗教は耳で神の啓示を聞くことから、音楽だけが芸術だ!っていう考えをもって他の絵画とかの芸術は全部認めない!みたいな感じにもなっていたそうで、そういう点でも音楽は優位な位置にある芸術だったそうです。
一方で。
音楽は学問の一つとしても位置付けられていました。といいましても今も音楽という科目はありますが、そういう感じのよりも幾何学や天文学・算術学など数学的な位置付けの学問であったそうです。
ボエティウスという人が古代から中世の時代に音楽理論を伝えました。名前が覚えやすかったです。ボエティウス。
あと有名な人としては、3平方の定理で有名なピタゴラスが、音程と数比の関係を見つけたりしました。ピタゴラス音律というのも彼は残しています。
2:3とか綺麗な比率で音を区切ってそこから生まれた綺麗な音程で音階を作ろうぜ的な発想です。これは中国とか日本とかでも行われてた手法だそうです。
ただこのやり方でいくと、高い音域に作った音と低い音域に作った音(例えばG♯とA♭)は同じ音のはずなのに若干のずれ(ピタゴラスコンマと言われる)が生じてしまい、あんまり実用化には至りませんでした。
グレゴリオ聖歌
中世の音楽といえばコレです。
音楽的に見ていくと、中世の音楽はグレゴリオ聖歌から発展していきました。グレゴリオ聖歌とは「単旋律のキリスト教典礼聖歌」のことです。
キリストを讃えた歌をみんな同じ旋律で教会で歌ってるやつっていう意味です。
ヨーロッパ各地の多くの教会において、それぞれがいろいろな典礼を用いて聖歌を発展させ(地方的聖歌)、それを各地で歌っていました。
そこで6世期末から7世紀くらいに、「グレゴリウス1世」という偉い人がローマ式に統一しようぜと言い、ローマ式の典礼に統一されました。コレがグレゴリオ聖歌の始まりです。
今回はこれを聴きながら作業しました。
グレゴリオ聖歌の音楽的な特徴
グレゴリオ聖歌には歴史的にも大切な二つの音楽的な特徴があります。それは「楽譜」を用いて音楽を残すようになったことと、基本的な4つの教会旋法を使って展開されたことです。
ネウマ譜
聖歌を書き留めるために、ネウマという記号が用いられ、そこからネウマ譜が発展しました。初めは「あ^旋律の形どんなんだったっけ〜しばらく歌ってなかったから思い出せんわ〜」っていうのを無くすために簡単な印をつける程度でした。
後に複数の横線を書いたら音の高低めっちゃわかりやすいっていうことに気づき、線が引かれて音の高低をある程度正確に明記できるようになりました。そして広い地域で同じ音楽を共有するためにすごく便利なので普及していきました。
現代における五線譜にとても近い作りになっているように思います。違うのは小節線がないこと、音符が符頭だけであること、音部記号(ト音記号とか)が違うこと、線が5本でなく4本であること、コレくらいですかね。
教会旋法
グレゴリオ聖歌のような単旋律聖歌において用いられた音階です。
種類はドリア旋法、フリギア旋法、リディア旋法、ミクソリディア旋法いう正格旋法の四種類と、それらの旋法の音域をそれぞれずらした変格旋法の4種類があります。
現在用いられている音階(ドレミファソラシド)にはそれぞれの音に主音、上主音、中音、下属音、属音、下中音、導音という名前が付けられているのに対して、
これら教会旋法にはそれぞれ、終止音と支配音という性格の音を持っています。
これら教会旋法は、その後発展して長音階と短音階という二つの音階に統合されていきますが、後の時代ロマン派以降にまた価値が見出されたりして効果的に音楽に使われたり、ジャズの世界など他の音楽のジャンルに転用されたりして、とても効果を発揮しています!
とても良いです。私の押しはドリア旋法です。ドリア旋法は明るいとも暗いとも撮れない、どこかノスタルジックな感じがあります。
例えばイメージと経験だけで語りますが、ドラクエの最初の街のBGMは大抵ドリア旋法で書かれていますね。それっぽいURLを載せておきます。
良いですね。これはドリア旋法です。
ジャズの世界では、ドリアンスケール、ミクソリディアンスケールと言うように呼び、曲のコードによって使い分けて即興演奏したりします。
その他
他にグレゴリオ聖歌のから生まれた音楽上よく使う概念として、シラビック的・メリスマ的、という概念があります。
シラビック的は、一つの言葉に一つの音という頻度で歌われる様式
メリスマ的は、一つの言葉を引き伸ばしていくつもの音を繋がらせる装飾的な様式
です。
これは聖歌を歌う上で生まれたものですが、今ではいろんな音楽のジャンルに使われます。
上の楽譜はフラメンコ・ギターの楽譜ですが、これはメリスマ的だと言えそうです。
グレゴリオ聖歌の多声化
グレゴリオ聖歌は単旋律ですが、あるときに聖歌に新たな旋律を垂直的に加えて多声化することが行われました。これをオルガヌムと呼びます。
男性と女性が同時に歌ったら音域が違うから、同時に二つの音がなる現象は自然に発生するという考え方です。でも、一つの旋律で歌うのが普通だという集団の意識のもとに集団の中で歌っていると、無意識に旋律は一つの線に統合されるんだろうなぁとも思います。
グレゴリオ聖歌のオルガヌムに関しては、とても厳格に理論的に新たな旋律が足されました。
5度や4度の音程関係でずっと平行して歌われる「平行オルガヌム」と、歌い出しは同じ音で徐々に広がっていく「自由オルガヌム(斜行オルガヌム)」などがあります。
また、12世紀前半から後半の中世の後期には、南フランスのアキテーヌ地方でさらに華やかなオルガヌムが歌われるようになります。
聖歌の旋律をめっちゃ引き伸ばしてずーーーっと歌ってる上に、華やかな装飾音を歌うという「オルガヌム様式」が使われるようになります。それに対して二つの声部が同じ音数で進行する部分を「ディスカント様式」と言います。
オルガヌム様式で引き伸ばしてる人は、ラテン語の引き伸ばすっていう意味の言葉から「テノール」と呼ばれるようになりました。今歌手に使われているテノールという言葉は元はここから来たそうです。
長くなりましたがまだ続きます。中世⑵は更なるオルガルムの発展と、教会音楽じゃないとこで歌われていた世俗的な歌について触れていこうと思います。
ありがとうございました。
西洋音楽史②古代ギリシア
古代ギリシアの音楽
こんにちは。近松です。
今日で一旦バイトに行くのを止めることにしました。ご飯も外には出ないで、買ってきた野菜で自炊をしています。外には出れませんが気持ちを明るく持ちたいですね。
さて、本日は古代ギリシアの音楽について触れていこうと思います。
ムーシケー概念
古代ギリシアの音楽を考える際には、「ムーシケー概念」というものから考えないといけません。自分も調べててよく分かんなかったですが、学んだことを述べます。上の画像は自分のノートです。
今私たちが音楽という意味で使っている言葉の「music」は、
ギリシャ語の「ムーシケー(μουσικη)」という言葉を語源にしています。ドイツ語のMusik、イタリア語のmusicaなどもそうです。
昔は音楽は音だけを指していた言葉ではなくて、音も詩も舞踊も全てを含めた言葉として「音楽(μουσικη)」という言葉を使っていました。その音楽の包括な概念として、ムーシケー概念と言われています。広い意味では9人のムーサイ(古代の女神たち)が司る文芸全般のことを言うそう。
例えば、今は詩人として伝えられることが多いというピンダロスさんは、4つの競技勝利歌を作りました。これはただの歌(叙情詩)ではなく、詩とともに音楽も舞踊の振り付けもある作品で、全てピンダロスさんが自分で作ったそうです。
そうした包括的概念のムーシケー概念でしたが、後々には音楽の側面が重視されるようになり、ムーシケー概念から音楽が独立しました。プラトンという人は、音楽は三者が揃ってこそなんやでって必死に言っていましたが、その後もますます詩と舞踊の要素が抜けてきて、音楽が音の芸術としてだけの意味になっていったそうです。
そうしてギリシアではスパルタという都市が音楽の中心地となり、様々な音楽家を輩出しました。テルパンドロスとタレタスが有名です。テルパンさんはリラという弦楽器を発展させ、タレタスさんは音楽で少年たちを訓練するという音楽教育を行いました。また、この頃アウロスという管楽器が定着しました。
劇音楽の発展
そこから劇音楽が発展を始めました。前5世紀に文芸の中心がアテネに移り、そこから悲劇や喜劇が始まっていきます。その劇音楽はコンクール形式で共演されたそう。
前5世紀というと、日本はまだ縄文時代です。縄文時代の時にギリシャではコンクールとかやってるんですから、同じ地球上でもこんなに文化の発展の度合いが違うんですね。
有名な劇音楽の作曲者は、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスさんです。
形式
悲劇の最も発達した形式は、
最初に序奏(プロロゴス)が始まり、次に合唱団(コロス)が出てきて入場の歌を歌い、会話部分と合唱の歌と踊りが繰り返されて、最後に終章(エクソドス)で終わる。
というものです。形式を重んじる所に、西洋音楽の源流を感じます。
人数
最初は主となる役者は一人でしたが、2人、3人と一人ずつ増えて、3人で落ち着きました。合唱団のコロスは12〜15人だったそうです。
場所
ここで、現在の「オーケストラ」の語源となる物が出てきます!
劇音楽のステージとして、山の斜面を利用した野外劇場が作られ、ここで音楽が演奏されるようになっていきました。
半円状の観客席をテアトロンといい、中心の円形舞踏場のことをオルケストラと言います。このオルケストラが現在のオーケストラの語源になりました。
後ろにはスケネと呼ばれる楽屋があり、そこで衣装チェンジなども行われていたそうです。
ギリシアの音組織
まず特徴的なのは、古代ギリシアで使われていた音階は、なぜか下降形であると言うこと、これについてはなぜかはわかりませんでした。。
ミクソリュディア、リュディア、フリュギア、ドリス、ヒュポリュディア、ヒュポフリギア、ヒュポドリスと言う七つの音階があります。
これは後に出てくる、中世の教会旋法に名前は似ていますが、違う物です。
また、この時代はまだ記譜法が確立していないために、文字に音をはめて、音楽を残していました。
まだまだありますがこんな感じです!
この辺の音楽は、遺跡で出てきた断片的な情報をもとに分かったことなので、音として再現が難しく聴けないのが少々残念ですね。
ただ、リラなどの楽器の音色はYouTubeで聴けるので、面白いです。
Yerko Fuenzalida Lorca 太古の楽器、リラ
次は中世の音楽についてやろうと思います。
よろしくお願いします。
西洋音楽史① 音楽の起源と機能(音楽起源説)
西洋音楽史①音楽の起源
こんにちは。初めて記事を書きます。近松と申します。
これから音楽に関することを紹介していけたらなと思います。
そんなに詳しくはないのですが、誰かに何かを伝えるのって1番の勉強法だと思っていますので、これを機に勉強していけたらと思います。また、少しでもへ〜って思っていただけたら幸いです。
コロナの影響で自宅待機を続けており、何か新しいことや自己発信をしたいというのと、何かを考えることが減って文章力とか思考力とかが低下している気がしてならなかったので、文章を書くことにしました。是非よんでください。
尚、この記事はあくまでも、私がいろいろ勉強したぞ〜事と、それについて自分が考えたことなので、すこし違う部分があるかもしれません。もしそういう場合はやさしくご指摘願いたいと思います。よろしくお願い致します。
音楽の起源(音楽起源説の紹介)
音楽史ってそんな昔??え??そこから??
って思われるかもしれませんが、音楽が生まれる寸前の音楽について考えることはいろんな方が行ってたみたいですし、結構面白いです。
音楽ってなんやろうなぁ。。って分析するような、こういう哲学的な考え方が生まれる前までは「音楽って、神様からの授けものなんやで、大事にしよな。」みたいな感じだったそう。
ただ、そういうキリスト教的な見解に真っ向から反対して、「いや、人間が音楽やってるんだから人間が音楽作ったんでしょ。」っていう考えを持った人たちが18世紀末頃現れて、音楽ってどっから来たんやろってことをいろんな見方で考え始めました。上の画像の様な音楽やってるより遥か昔、音楽がいっちばんはじめに生まれた瞬間って何だったんだろうって言うことを、音楽が発展してきてから改めて疑問を持ったという事ですね。
さて、その節を一つ一つざっくり見ていこうと思います。起源は大きく7つの節に分かれています。それは①言語起源説、②感情起源説、③恋愛起源説、④魔術起源説、⑤労働起源説、⑥信号起源説、⑦リズム衝動起源説です。細かい。
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