音楽史について

西洋・日本音楽史について、学習したことを纏めて綴るというブログです。

西洋音楽史④中世の音楽(2)

こんにちは。近松です。

何故かMacの操作を色々いじっていたら、バグが発生しまして

ブログを書きかけのSafariがぶっとんで

ブログの更新が大幅に遅れてしまいました。

 

オルガヌムの新たな展開を始めます。

オルガヌムの新たな展開

 

一回書いたこと、結構忘れてしましました、どこまでやったっけ

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ノートル・ダム大聖堂

そう、ディスカント様式とオルガヌム様式をやったんでした。

大きなイメージですが、聖歌の中で2つの旋律が同じリズムで動くものがディスカント様式、一本長く引き伸ばされた旋律の上でもう一つの声部がコロコロと歌うものがオルガヌム様式でしたね。

ここで時は12世紀後半から13世紀、パリのノートル・ダム大聖堂でオルガヌムをめっちゃ発展させた音楽家が生まれます。

この人達をノートル・ダム学派と言います。


この〇〇学派という言葉、今後バロック時代辺りまでに頻出しまくります。ノートルダム学派、ブルゴーニュ学派、フランドル楽派、ヴェネツィア学派、ボローニャ学派、ナポリ学派、マンハイム学派、ベルリン学派、てな感じです。

正直西洋音楽史を中世以前から勉強し直そうと思ったのは、この学派たち、名前は全部聞いたことあるけど一個一個わからない、、わかりたい。。。という思いがあったからです。

 

変ですがお付き合いください。。

 

さて、ノートルダム学派には二人のすごい音楽家がいました。

それは、レオニヌスとペロティヌスです。

 

レオニヌス

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レオニヌスはそれまでに作られていた聖歌の中で使われていたオルガヌムを『オルガヌム大全』という本に纏めました。


Leoninus : Viderunt omnes

また、その当時曲の殆どがオルガヌム様式だったのですが、その中でディスカント様式が効果的に用いられ、逆にそこが目立っていいね、ってことになりました。

この部分をクラウスラといいます。

 

ペロティヌス

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もうひとりのペロティヌスはレオニヌスの後輩で、先輩が作ったオルガヌムに手を加えて3声、4声と声部を足していきました

そしてこれすごいのですが、

「音が縦に増えたからみんななんとなくのリズムで歌ってもらっては音の移り変わりが濁って困る、だから音の長さを正確にきめます」

ということで、音の長さを楽譜に表そうとするシステムを作り、導入しました!

これをリズムモードといいます。

 

ただ、今は4分音符や2分音符のように、1:2の音価がスタンダードになっていますが、リズムモードは1:3でした。めちゃ使いにくそうですね。

なんかキリスト教の教義では1:3が正統で神聖な比ということだったらしいです。


Perotin: Sederunt Principes. Escuela de Notre Dame. Organum.

 

そしてその後、モテットというクラウスラ部分に新しい歌詞をつけたものが始まりの聖歌が登場し(モテットはその後も時代に応じて発展しめちゃくちゃ広義のため割愛)、今後に展開していきます。

 

アルス・ノヴァ

いよいよ中世も末期。

14世紀に入ると、フランスでフィリップ・ド・ヴィトリという人が、『アルス・ノヴァ』とかいう本を書きました。

この本は、「やっぱ1:3もいいけど1:2は使いやすいです」という内容で、アルス・ノヴァとは新技法という言葉を意味していました。

これにより、1:2の音価の記譜が発展していきました。

アルス・ノヴァの時代の有名な作曲家には、ギョーム・ド・マショーさんがいます。

マショーさんは宗教曲も作りましたが、後述します世俗歌曲も作りました。

 

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これがマショーさんです。


Machaut Messe de Notre Dame - Kyrie

確かに、1:2の感じがします。響きは荘厳を極めたみたいな感じですね。

そしてその後、フランスやイタリアでは

その高度な技術をもてはやし、もはや神のため音楽のためというより、技法のために音楽をつくるという風潮が流行りました。アルス・スブティリオルといいます。

俺のこの混み合った混み合ったリズムを見てくれ!!!みたいな感じだと思います。

 

 

 

それは置いといて、

次の時代、「ルネサンス」の時代へはフランスでもイタリアでもなく

 

イギリスが走り出しました。

 

その頃のイタリア、フランスの宗教音楽では3度や6度もきれいとはいえ、重要なポイントではやはり完全と言われている4度5度、8度のみを使用していましたが

イギリスではそうでもなく、6度や3度も多用していました。

これがやはり次の時代に重要になってきたんですね。

 

イギリスの甘美な響きを

ジョン・ダンスタブルという人がフランスに伝え、

それがルネサンスの始まりになっていきました。


John Dunstable - Veni Creator Spiritus

この人です。

確かに聞いてみると、三和音の感じが伝わります。

歌い方は中世だけど、

少し一歩だけ和声が前進した感じがしますね。

 

この人を皮切りに、ルネサンスの幕があけます。

それにしてもなんかお顔がとても長いですね。

では、ノートを載せます。

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中世の単旋律世俗歌曲

単旋律世俗歌曲とか書いていますが、この時代の市民のポップスって感じでしょうか

こんな風に宗教的な音楽はどんどん発展していったけど、この頃の市民はどんな音楽をきいていたんでしょうか?あるいはきいていなかったんでしょうか

教会の音楽の場ではネウマ譜が使われていたので月日がたった今もわかりますが、一般の人達の音楽はあんまり残っていないんです

 

ただ、次第にネウマ譜が広がるようになり、10世紀くらいからわかるようになります。それがゴリアールの音楽です。ゴリアールとは10世紀末〜13世紀にヨーロッパ中を放浪した学徒たちのことで、社会風刺や恋愛などの思いをラテン語を用いた詩を書いて、残して回りました。

普通に書きましたが、200年くらいに渡って、代々詩を読みまくってたんですかねこの人達。

 

そしてその後、ゴリアールのようにラテン語じゃなくても自分たちの言葉で詩と歌を残そうとした人たちが現れます。それがトルバドゥール・トルヴェール・ミンネジンガーです。

ここらへんも名前は絶対習うけど、何だったっけそれ。。ってなるポイントでした。

 

それぞれ、南フランス、北フランス、ドイツの人たちです。

この人達は地域は違えど、みんな宮廷の恋愛の歌をたくさん書きました。

 

 

 

と、こんな感じです。

次回はルネサンス音楽について触れようと思います。

ありがとうございました。