音楽史について

西洋・日本音楽史について、学習したことを纏めて綴るというブログです。

西洋音楽史⑥ バロックの音楽 バロックとは

こんにちは。近松です。

 

1年ぶりの投稿となりました。教員採用試験が終了し時間ができたので、ブログを再開しようと思います。試験の出来が悪くメンタルがやられてからというもの、ほぼ趣味にしか時間を割いていなかったので、そういう自分を律するつもりでもまた勉強を続けていきたいと思います。

 

さて、これまで

音楽起源説→古代ギリシアの音楽→中世の音楽→ルネサンスの音楽 と音楽史を学習してきました。

今回はバロック音楽について学習をしていきたいと思います。

バロック建築https://ia.eferrit.com/ia/f59bf84f64663906.jpg

 

バロック音楽は第4回に分けて書く予定でいます(ルネサンスまでで5回だったから多い、、小出しにしようと思います)。

バロック時代の概説 ②バロックの声楽音楽 ③バロックの器楽 ④バッハ・ヘンデルについて

バッハヘンデルはクソでか項目なので、1回に収まるか不安ですが頑張ります。

 

バロックとは

バロックとは一体何を意味するのでしょうか。

ルネサンスは「再生・復興」という意味を持っていました。これは古典文化の再生を目指した絵画などの分野で用いられた言葉で、それを音楽にも転用させています。音楽ではもっぱら「調和」を目指した時代でした。

バロックとは、ポルトガル語の「Barocco」を由来とする言葉で、「ゆがんだ真珠」という意味です。

真珠 https://l-co.jp/wp-content/uploads/2020/12/AdobeStock_60020095-scaled.jpeg

え・・・?って感じですよね。何がゆがんでいるの?

我々現代人は、バッハの音楽=調和の権化 のような印象を持っているので、全くしっくりきません。

 

この言葉はもともと、この時代の美術・建築芸術で用いられた言葉です。

新しい時代になり登場した、大胆な装飾や仰々しい美的センスの建築に対して、ルネサンスを生きたおじさんたちが「いややりすぎだろこれ」という意味をこめて「ゆがんだ真珠」と呼んだことが由来になっています。

そういう視点で見てみると、バロック建築には昔に比べるとごつい感が出ています。建築に関しては全くの無知なのですが、上記に載せたバロック建築と比べてみると、なるほど少しだけわかりました。そしてバロック建築は、彫刻・家具・絵画などが一体となった総合芸術でもあるそう。調和とはまた違う、美しさが感じられます。

ルネサンス建築 https://ryo-yasukawa.com/wp-content/uploads/2021/05/renaissance-architecture-13.jpg

 

ルネサンス=自然的な調和

バロック=人間的な装飾

という印象を私は受けました。

 

時代背景

バロック時代は16世紀末〜1750年までとされています。

1750年とは「バッハの没年」です。

バッハやモーツアルトベートーヴェンなど特に音楽界に影響を与えた偉大な作曲家を持って時代の境目にしようという考え方があります。その中の一つが、バロック時代の終わり、1750年です。

J .S.Bach https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5e/Johann_Sebastian_Bach.png/1200px-Johann_Sebastian_Bach.png

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コラム なぜここに挟むかは知らないが音楽の歴史を学ぶことについて考えた

余談ですので読み飛ばしてください。音楽の歴史というものは、一般的な歴史に比べて時代区分をエピソードで区切るということが難しいものです。例えば世界史・政治史では戦争や革命によって時代を区分します。しかし音楽に関しては『この音楽を境に世が全て変化した。世は大バロック時代……』ということはまずないからです。

本編に全然関係ないですが、またブログを書き始めてから、音楽の歴史を学ぶってなんだろう、なんで音楽史学んでるんだろうな、ともやもや考えていました。そこで考えたことを徒然なるままに書きます。

音楽の歴史は、作曲家のエピソードの歴史でもあり、「作品」の歴史でもあります。また、それら作品の「演奏」の歴史、作品と演奏「評価」(聴衆や後の学者など)の歴史でもあると思います。それらが関連しあって「音楽の歴史」になっています。

こんなエピソードがあります。バッハの没後約100年間、彼の作品はあまり演奏されることなく、ごく少数のマニアを除いて人々から忘れ去られていたとされています。しかしある時、鋭い慧眼を持ったメンデルスゾーンという作曲家が、「この先人の音楽ぶっ飛んでるからみんな聴いてみ」と約100年前の作品を演奏する演奏会を開き、人々に知られるようになりました。現代でいうと、1950年代にレコードデビューするも全く売れずに埋もれてもう誰も知らない、でも音楽的にぶっ飛んでたことやってたみたいなインディーズバンドを、星野源がカバーしてみんな聴きだす、みたいなところでしょうか。もしあの時メンデルスゾーンがバッハの音楽に興味を示さなかったら。さらに、興味を示しても「みんな聴いてみ」の演奏が当時の聴衆に全然刺さらなかったら。そしてメンデルスゾーンの心が折れていたら。バッハの音楽は我々には届いていないかもしれません。また、バッハに学ぶ偉大な作曲家たちも存在してないかもしれません。メンデルスゾーンに大感謝。

このように作品・演奏・評価が関連しあった結果、我々は音楽史を、もっと言えば「音楽」を学べているんだな〜と思います。極端な話ですが、「作品」は楽譜や録音として物理的に存在していても、私たちが今後「演奏」と「評価」を一切やめてしまえば、「音楽の歴史」が止まる可能性もあるのかもと思います。一旦作品が完成した場合、建築など空間的な芸術は人間が何もしなくても物理的に芸術そのものが残っていきます(もちろん実際は大事な文化を守るために様々な工夫をされていると思います)。同じように全く人間が何もしなくても物理的な楽譜と録音は残ります。しかし、楽譜や録音が「ただ残っていくこと」は音楽の歴史なのでしょうか。

メンデルスゾーンが演奏しなくても、残っていくだけならバッハの楽譜は今もどこかに埋まっているかもしれません。しかしそれはれっきとした由緒正しき「音楽作品」ではあっても、「音楽そのもの」ではないはずです。そこで、楽譜を見て演奏したいと思い演奏する、それを聴くという、演奏・評価といった我々の音楽への意思と表現活動が伴ってやっと「音楽の歴史」が作られるのではないでしょうか。

また、音楽は、第3者が能動的に「音楽作品=楽譜」に近寄らないと「音楽」としては残っていかないという性質があるのが面白いところです。「残っていくこと」と「残していくこと」の意味合いが他の芸術とは違うのかもしれません。結果的に音楽が残っていくためには人が直接再現するしかないということです。

そう言う意味では、我々の音楽的な活動は、現在進行形で音楽の歴史のレールの上にいるのではないでしょうか。もしかして、私たちが音楽の歴史を今も作ってるんじゃね?ということです。いきなりの論理の飛躍。こじつけも甚だしって感じですが、歴史の上にいるんだったら勉強しないわけにはいかないよな〜と私は自己解決したのです。

長い長い極端な話でした。。

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バロック時代の音楽

 

音楽の話に戻ります…!すみません私は何を書いていたんだ

バロック」の時代の音楽は、前の時代であるルネサンスと同様に宗教的・芸術的な題材ではあれど、比較的人間的な表現が増えていきます。

 

ルネサンス様式の均斉と調和に対して、それらを打ち破っていく躍動感と運動性、明白な対照とドラマ、芸術の根源としての人間の情緒の重視などがバロック様式なのである(決定版初めての音楽史より)」

と私の学んでいる本に書いてあります。

(一昔前の時代と相対して人間的な情緒を求めるバロック音楽。今後は古典派〜ロマン主義と続く音楽史ですが、思えばロマン主義も、形式主義的な古典派に対して「個性の開放」という命題を求めた時代です。そしてロマン派の後は古典回帰的な新古典主義という音楽も登場します。時代はふりこのように揺れるんだなあと思いました)

 

具体的にどのように人間的になったか見ていきましょう。まず、「モノディー」という、歌詞の持つ情緒や感情表現を重んじた独唱が発展しました。また、後の時代にも続く大きな大きなジャンル、「オペラ」が登場したのも、バロックの時代です。

 

バロックオペラ http://img-cdn.jg.jugem.jp/d12/787542/20100831_573245.jpg

 

 

そして、器楽曲も大きく発展しました。ソナタ、コンチェルト、組曲、フーガなど、バロック独自の形式が続々と生まれ、また、声楽における器楽の立ち位置もでかくなっていきました。伴奏の役割が大きくなり、伴奏のための理論まで生み出されたほどです。

 

チェンバロ https://readyfor-img.s3.amazonaws.com/ckeditor_assets/pictures/60052/content_6279dae979f31a5214ad8336eb12485076f7d99d.jpg

伴奏のための理論は通奏低音と言います。チェンバロやオルガンなどの鍵盤楽器のための理論で、バスの旋律と和音を示す数字や記号が示され、奏者は即興演奏をします。私はよく、現代でいうジャズであったりフォークソングに似てるなあと思います。私もギターを弾くときは、和音を示すコードとコード進行を見て演奏する(逆に楽譜を見てギターを弾けません)ので、そのような感覚なのかもと思っています。

また器楽の回で詳しく勉強しようと思います。

 

 

では次回は、具体的にバロックの声楽について勉強しようと思います。

 

今回は音源を貼っていないので、次回はいっぱい貼りたいところです。

 

ありがとうございました。